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200年の歴史「駒形どぜう」6代目当主・渡辺孝之さん
vv浅草駒形どぜうの若主人 渡辺孝之さんのことは先生から良くお聞きしていました。
  なぜかと言うと、勝鬨橋の事務所にお伺いしたとき2,3度、
 「早崎さん、ご飯食べましたか。」
 「先生、もう、2時ですから食べました。」
 「僕、昼食まだだから付き合ってください、佐藤さん頼んでよ。」
 「うなぎでいいでしょ」
 先生がそれほどおっしゃるのだから、相当の美味なのだろう。
 私も、かなり食いしん坊だから心の中は、湯気を立てあのてらてらと光ったたれの香ばしい匂い、口に入れるととろりと溶けるあの口触り、しっかりと立ち上がる米にうなぎから浸出する醤の融合、さっき昼食を済ました後であることを忘れて、そこに漆塗りの二段構えが据えられたように生唾を飲みこんでいました。
 注文の電話をされてから随分の時間が経過していきました。
 「あなた、駒形に行ったことありますか。今度行きましょう。徳川200年の味はまた、格別ですよ。」
 「あの、口ひげのような鰌の髭がね。柳川なら良いですけど、また、あの丸太を転がしたようなのは苦手なんですよ。でも、鰻と同様、鰌を焼いているあの匂いは何とも魅力的ですね」
 「あれが、あの丸のままがいいんですよ。あの煮込んだ鰌に肉厚の刻み葱をたっぷり載せ、備長炭のぬくぬくとした熱で炊き上げる。」
 「先生、味で言えば鰻が動で、どぜうは静ですね。」
 「何故ですか」
 「だって、先生、鰻はぎらぎらと脂ぎった精力的な男を連想し、鰌は、エネルギーを内に秘めたナイーブな男を感じますよ。」
 「そんなことを言ったら、駒形の若旦那はどう言うだろうね。」
 「ぜひ、先生、若旦那にご高説をお伺いしたいですね。僕は、滋賀県に疎開し、琵琶湖のほとりの安土山で育ちました。から天然の鰻、鰌、鮒、鯉、諸子、鮎、うぐい、鯰、鮠、すっぽんと川魚は豊富でした。」
 でも、東京で育った私の食生活環境は、富山出身の母やおばの献立でしたから海の魚しか食べませんでした。家庭で鰻や鰌にお目にかかることはまったく無かったのです。
 その上、父親ときたらお膳の上に魚が乗ろうものなら、お膳をひっくり返すほどの生臭いものが嫌いでしたから。でも、芸者さんを連れて駒形へ行ったなどと言っていましたよ。」

 例によって、先生と私は、何で店によって味が違うのだろう。土地柄によって、鰻は腹から裂くか、背中からなのかと、だんだん、人類学、分析学的になり材料学になり、気象学になり、大阪のまむしの話になり、名古屋の溜まり醤油、果ては、赤味噌の金山寺味噌の話と取り止めがなく、
 「やはり味の文化は、結局人となり。味を創る人に文化がなければ駄目だ。その点、渡辺君は良い(これは私が言った訳ではありません)」
 当事者同士しか分からない、多くの会話、ご一緒して食べた味の多く、ビーフスティーク、焼肉、鰻、卵焼き、フランス料理、イタリア、中華、漬物の諸々、と先生の一生からすれば先生と私とが一緒に食べたものなど一握りの砂のような量なのかもしれませんが、私にとって見れば、その些少な出来事が、そのとき先生と交わしたお話とともにダイヤモンドのきらめきのように心の中に深く刻まれてしまっています。
 鰻と駒形どぜうと渡辺さんのことは、「パイプのけむり」だけではなく、色々なところに書いておられます。下記の単語表は、「パイプのけむり」に渡辺さんのことが書かれた部分を抜粋したものです。(大項目、単語、巻数、頁数、文章表題。)新聞、雑誌などでのどぜう駒形の薀蓄の記事、内容を集成すればかなりの量になりそうです。


駒形どぜうに関係のある単語 巻数・ページ数 タイトル パンフレット表紙
駒形のどぜう屋
駒形どぜう     
駒形どぜう     
どぜう鍋
鰌鍋       
鰌汁        
駒形どぜう    
どぜう屋     
鰌(どじょう)   
泥鰌と薯蕷     
駒形の「どぜう」や
柳川鍋       
渡辺君(駒形どぜう)
渡辺孝之(浅草駒形どぜう屋若主人)
渡辺孝之(浅草駒形どぜうの若主人) 

20-271
15-114

16-79
17-198,199
17-201
22-161

17-202
20-271
22-161
23-125
24-193
22-160
21-70
17-199
17-196 

阿吽の鯰
白毛魚
東は東
ど‐その後
ど‐その後
ど‐その後柳川
ど‐その後
阿吽の鯰
柳川
食い合わせ
五色不動
柳川
名刺
ど‐その後


◆「白毛魚」(パイプのけむり VOL15, P.114,S.58.4.8)
 三笠宮憲仁親王殿下との駒形どぜう訪問と白毛魚(魚の剥製)御下賜のこと。

◆「東は東」(パイプのけむり VOL.16, P.80,S.59.5.4)
 腱鞘炎手当てのための菊屋橋病院の途中、駒形どぜうの他にも美味しい店がある。
「麦とろ」「今半」「来福亭」「芳味亭」……・・

◆「ど」(パイプのけむり VOL.17, P.195-198,S.61.2.21)
 グァム島での若主人との偶然の出会いから駒形どぜう渋谷パルコ支店での渡辺君との逢瀬。そして、若旦那からいただいた「ど」のTシャツについての物語

「どーその後」(パイプのけむり VOL.17, P.199-202, S.61.2.28)
 「ど」のTシャツを着て?堤への鰌鍋を食いに行く件、薹立ち青年との会話。俳句歳時記(山本健吉著)について、季語と鰌の関係についての薀蓄。久保田万太郎作の俳句
      「ひぐらしや 煮物がわりの 鰌鍋」
 熱い鰌鍋は、夏のものと先生大いに鰌鍋と炎天下の旅人との因果関係を若者に教える。ここで先生は、例によって駒形どぜうの歴史についての高座が始まる。
 私とは、三社祭、羽子板、豆玩具、舞扇、酸漿(ほおずき)市、果ては日本堤の花魁の話し、江戸の日記はほとんど火災のニュースととどまることは知らない。などと、いつも好奇心旺盛な私との対話は、滋賀県にまで飛び火し、長浜の鳥しんの鴨鍋と大宮のはすみの鴨の陶板焼き、琵琶湖の食から動物、魚類と会話は止まる所を知らず。

◆「阿吽の鯰」(パイプのけむりVOL.20, P.271, H.2.4.20)
  駒形どぜうと鯰の蒲焼から、世界各地での食としての鯰について、神魚としての鯰、阿吽の鯰が狛犬代わりに鎮守の大森神社に奉ってあったこと、團家の墓とこの神社の因果関係。
 鯰は、神様で食べることは、團家の者にとってはタブーと書いておられるが、先生からその後、鯰は食したかどうか聞き漏らしてしまった。でも、浅草に鯰の鍋を食べさせてくれる所があり、鍋から鯰の頭が睨んでいたと話したところ先生おお受け。

◆駒形のどぜう屋(パイプのけむり VOL.22, P.271, H.4.7.17)
  朝食の柳川鍋と柳川鰌の歴史とについて。何しろ先生の朝食ときたらビーフシチューに柳川、すき焼きと碧眼紅毛人だか、中国人だか分からない食生活、泊り込みで仕事をすると、私にとっては驚天動地、先生のエネルギーの源はこれだと感心。
 何しろスーパーマンのようでした。あんなに仕事をなさる方はまれでした。先生の言を借りれば「恐れ入谷の鬼子母神」「吃驚、下谷の広徳寺」「そうで有馬の水天宮」と言うとこでしょうか。何故、亡くなってしまったのでしょうね。

◆「食い合わせ」(パイプのけむり VOL.23, P.123, H.6.4.29)
 昔、富山の売薬が持ってくるポスターや暦に「食い合わせ」の稚拙な絵が書いてあったのを思い出す、それが、竃の後ろの壁や、分厚い作りつけの戸棚の引き戸に飯粒で貼りつけられていた。煤けたその「食い合わせ」の絵に先生の薀蓄を重ね合わせると、現代のタブー、両立するようで何時も平行線を辿ってしまう男と女の問題、政治と金、銀行と中小企業、スーパーと小売業と生活の中にタブーが根付いていることに驚き、こんなポスターを壁に貼りつけたらと先生に質問してみるべきであったと思う。
でも、先生にとっては、男と女の問題について、食い合わせが悪いとおっしゃっているが、どうして、どうして、女性に対するやさしさは並大抵ではない申し上げたら。あのいつもの笑顔でニーッと笑われ無回答。もう少ししつっこくお聞きすべきであったか。

五色不動(パイプのけむり VOL.24, P.193, H.2.4.20)
 五色不動をご案内した親子とは誰なんだろう。パイプのけむりには、一番人名が多い、地名も多いが、植物名も並な数ではない。でも、先生には、星の数ほど人との御付き合いがあった。先生の付き合われた方、とくにパイプのけむりに登場する人には深い興味を抱く。
 でも、星にしたら私などは、100等星にも入らず、太陽からの光は多分届かなかっただろう。(團伊玖磨星「17509」)
 だから、100等星は流れ星になってストーカーのように太陽に近づいた。でも、100等星が焼ききれる前に太陽は天の岩戸に隠れてしまわれた。
 脱線してしまったが、五色不動の目は、先生の色弱色盲に深い関係があって、興味を持たれたに違いない。先生が、お寺参りをすることは似つかわしくないと思っていたが、良く考えてみると先生がご興味のある、江戸の歴史、日本の歴史は古事記、日本書紀に始まり、仏教や神教が庶民の心の支えだったことが先生の琴線を擽っていたのかもしれない。
 だから、先生は、日本の歴史をオペラと言う共通語で世界に知らしめたかったのだろう
「素箋嗚」、「健」は、そんな先生の高邁な精神、愛国心、人類愛の産物だと思う。
 私も、一時期、日本全国の七福神を狂人のように回ったことがある。目黒にも立派な七福神があり、昔、寺町を形成し、落語にも良く出てくる訳でそこに庶民の生活が確実にあるからだと思う。
 先生が賞味、玩味、含味、真味、珍味、醇味した駒形どぜうの200年の歴史は、先生のお仕事にいかに力を与え貢献されたかを思うとき、若旦那に是非一度拝顔させていただきたいと思うのは、如何なものでしょうか。
 本当は、先生と伺うつもりでしたがお忙しい先生のこと、冥界に赴きご先祖の助七さんに鍋を仕込んで戴き、芳醇、一の宮、二の宮、三の宮で鍋を突つかせていただく予定を立てております爽やかな、お葉書ありがとうございました。

追伸:因みに、先生がご注文していただいた「うな重」は、銀座松屋8階の宮川本店からオートバイで配達されていたようです。さすがに駒形から鰌を配達していただこうというお話はありませんでした。

平成14年5月23日  駒形どぜうに付いて6代目当主渡辺孝之さんに差し上げた手紙の内容です。