| ▼團さんが幼児の頃住んだ応接間があった ▼和子夫人がヒースロー空港で | ||||||||||
突然、失礼致します。 友人が私が初演をした團先生作品の初演年月日を聞いてきていたのでHP検索していたら、拝見しました! 一箇所、情報が入っていないところに気付きましたのでご連絡致しておきますね。 フルートとハープのための「羽衣」は、初演はサントリー小ホールの私のリサイタルです。フルートが私、大和田葉子、ハープはスザンナ・ミルドニアンです。 そもそも、タイトルや構想のヒントは、辻井喬氏が私の彦根でのコンサートのために寄せて下さった詩「羽衣の舞」と、ミルドニアンからの共演依頼、私と團先生の他愛無い会話から生まれました。 初演には、團、辻井、両氏が、美智子様を挟んで中央にお座りになって、脇田和氏他、本当に素晴らしいお客様の中での会となりました。この作品、團イヤーでの演奏後、この曲で先生の生前の最後の演奏場所のご報告となったのは、ヒューストーンのオペラハウスでの演奏5月13日でしたが、先生は中国旅行中で、私はアメリカ、この成功のご報告も出来ないまま、先生は中国でお亡くなりになりました。 CD録音になることもご報告済みでしたが、スタジオ録音も取って有ったのですが、雑音は多少入ってはいたものの、團イヤーでの実況、どちらを使用するか迷っていた中、先生は、どちらでもいいよ、、とおっしゃっていましたし、CDのブックレット作業も、忙しさの中、書き終えて居なかったのですが、先生のお亡くなりになったお知らせにより、没年まで書き入れてしまえる結果となり、収録音の方は、あえて、先生が一緒に呼吸されていらしたホールでの実況録音の方に決定し、CD完了となったわけですが、忙しくてブックレットが書き終えられなかったことや、どちらの録音を使用するか迷っていたことも不思議な因縁か、と・・・・。先生は没年を入れさせたかったかのような、感じがしました。 「羽衣」で先生ご自身が天へ・・・・。 人間の死に方に関しても、県民ホール階上のレストランで、また大和民族であるか否かの話も大阪でのマレー乙女演奏の前日夜、ホテルのカフェで、ココアを飲みながら、いろいろと話しておりました。 このCD「フルートメッセージフロムヨーコ」”あなたを思うとき”、が出来上がった時、20世紀の我が国のフルート音楽の集大成が完了した感、大でした。一応、ご報告まで。大和田葉子 |
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| 「パイプのけむり」に書かれている大和田葉子さん | ||||||||||
| ID | 巻数 | 項目No | 項目タイトル | 単語(人名項目) | 掲載頁 | 備考 | ||||
| 823 | 22 | 67 | 雨男 | 大和田葉子(フリュート) | 373 | 演奏会 05.07.10上海 |
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| 824 | 22 | 33 | 茘枝之礼 | 181 | 04.07.01香港 | |||||
| 825 | 18 | 18 | 御節料理 | 111 | ソナタの作曲のこと 61.12 |
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| 826 | 18 | 17 | 無人島 | 104 | 61.11.19.佐世保 「長崎街道」 |
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| 827 | 18 | 09 | 秋老虎 | 52 | 61.08.27東京 「長崎街道」 |
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| 19 | 14 | 正月記 | 大和田洋子(標記間違いか) | 81 | 63.01.01東京駅コン モーツァルト:fl・hpの協奏曲 Hp:モルナール 東京シティーPO |
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| フルート奏者の大和田葉子様から、貴重なメールをいただきました。 作品リストの中に加えさせていただきます。現在、團伊玖磨先生の経歴をHPに全部掲載すると少なくとも、10万ページ位にはなるだろうと推定します。手書きの譜面、諸々の著書、多くの放送記録、それを一つ一つ積み上げるのにどれほどの時間を有するのでしょうか。世の中の人々がそれぞれの視点で團伊玖磨作品を見聴きし、それぞれの思いで語っておられる。 私がHPを立ち上げ5年の歳月が流れました。一つ一つ先生の歩まれた道を歩いてみて関係のあった人々、それも團先生の周辺で一緒に仕事をされた方よりも、世界のどこかで偶然先生や和子夫人や御子息たちと会った、そこに、思いもかけないドラマがあって当事者しか判らないいくつもの発見をしました。 相手が、この世から消滅すると、例えば、私と先生との会話は当事者同士しか判りませんから、私がこの世に在世すれば私の口からは、先生との対話を伝えることが出来ますが私がこの世から居なくなれば文章や写真や映像で残さない限り、この世の中からは消滅してしまいます。幸い先生は、沢山の音楽作品だけではなく放送媒体や印刷媒体を利用され膨大なお仕事をされています。疾風怒濤のようにです。 先生がお亡くなりになって、10年近い歳月が過ぎ去り、私自身も、先生の生前の年齢に近くなりました。 私の手元にあるピラミッドのような大きな先生の足跡を在世内にどれだけ崩していけるか、日々の蓄積と心得ています。幸い現在では科学の発達により便利な機器で仕事が容易に短時間で処理できるようになり、大和田様からもこのような貴重な作品誕生のドラマの経過を知ることが出来、記録の中に書き加えることが出来感動しております。 私のHPから、先生御夫妻をヒースローで助けられた航空会社の職員の方、お嬢様が私が書いたお父上の姓名一行で私とメール交換をすることとなりお父様の死に間に合った話、團先生のお父様がお弟子さんに差し上げられた応接間の建物が戦火の中その親子によって守られ今も残っている事など奇跡に近い話が沢山ありました。 そのような理由でこのHPは、人の借り物でない人の書いたものの引き写しでないもの、先生と実際に会話し行動したことの裏づけを自分自身で調査し、見聞きし、人ととの触れ合いを通じて、生きている限り続けたいと思います。 今年、2月辻井氏ともお会いしお話をしました。私も滋賀県出身彦根の高校に通いました。そして、蛇足ですがスペインのニカノール・サバレタやヨセフ・モルナール氏とも交流があり、ハープの好きな私は、大和田さんとミルドニアンさんとの初演を聴いていました。大和田さんのメールから何か沢山の共通項があるように感じたのは私の思い上がりなのかもしれませんが。(早崎日出太) |
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