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大泉西中学校校歌(團伊玖磨作曲)を検証する 古賀 由美子 様 

 こんにちは!初めてお便りいたします。
 私は、東京都練馬区にあります大泉西中学校で、PTA広報委員長をしております古賀由美子と申します。今年度発足されたばかりの委員会で、委員の素人編集おばさん軍団?は、『いったい何をどうしたらよいのやら!』レベルのところからスタートして、広報誌名の無い『0号』、そして『希望のいずみ』と名前のついた『1号』を発行しました。(この『希望のいずみ』という名前は、校歌の歌詞からによるものです。)
 今は、
3月中旬頃発行予定の『希望のいずみ2号』の企画段階にあります。「学校を知ろう」を広報誌の年間テーマに掲げ、知っているようで案外知らない学校内の身近な話題を中心に、記事を作っております。

 私には『0号』企画段階より、「校歌を作った方を紹介したい。」という思いがありました。
 実はこの大泉西中学校の校歌は、関根 弘氏作詞・團 伊玖磨先生作曲の作品です。
 私の子どもがこの中学校に入学してまもなく、校歌の作曲者が團先生であることを知って、大変驚いたにもかかわらず、なんと歌っている当の子どもたちや父兄はほとんどの方が團先生をご存じないのです。
 ちなみに私の娘は、現在声楽の勉強中で(大学生です)、
弟の学校の校歌を團先生が作られたと聞くや否や、「えっ、あの夕鶴の團先生?」と即座に反応いたしました。
 團伊玖磨先生が大変有名な方にもかかわらず、その事実を、子ども達も、そして父兄の方々もあまり知らないということが、私は非常に残念でならなかったのです。
 いよいよ『2号』で校歌を作った方を紹介するという企画がとおり、どういう経緯で作詞者・作曲者を決めたのか、からはじめようと、学校側に問い合わせても、なんの記録も残されて無い状態でした。
 開校当時(昭和48年)に本校にいらした先生に伺ったところ、当時の国語の先生のご主人の知り合いである関根弘氏に歌詞を依頼し、関根氏の知り合いである團先生に作曲を依頼したらしいということくらいしか、わからなかったのです。
 またこの作詞者である関根弘氏も、「あの詩人の関根弘さんかなぁ?」と思って学校の先生にも伺ったのですが、まったくわからないという、なんともお粗末なはなしです。これでは子どもたちが知る由もありません。(あまりの記録のなさに愕然としました)

 「広報委員で手分けして調べましょう」と、委員のお母さん方にお願いしたところ「團伊玖磨さんは大泉のどこどこに住んでたらしいよ」とか、「関根弘って、うちの学校の卒業生らしいよ」など、井戸端会議の域を脱しません。(笑)
 ますます何とかしなくてはという使命感にかられ、先生の自伝を読んでみたり、ネットで調べてみたりしておりますが、(それ以外に調べる手立てが思いつかないのです)当然のことながら、わが校の校歌ができるにいたった経緯などわかるはずもありません。(学校でさえわかっていないのですから)
 前置きが大変長くなりましたが、そうしてたどり着いたのが早崎さんのホームページです。
團伊玖磨先生自伝の『青空の音を聞いた』を読ませていただきましたが、最後の年譜監修に早崎さんのお名前がございましたので、自分勝手なおもいではありますが、この方だったら私たちを助けてくださるのではと思い、メールした次第でございます。

 わが校の校歌ができるにいたった経緯が紹介できなくとも、團先生のご紹介はしたいと思っておりますが、偉大な方なので、失礼があってはならないし、写真を載せたいと思っているのですが、写真も本やネットに載せられているものを勝手に使ってはいけないということで、おばさん軍団は行き詰っております。お忙しいとは存じますが、もし早崎さんのアドバイスがいただけましたらと突然ではございますが、お願いのメールを送らせていただきました。あまりに唐突で失礼かとは存じましたが、どうぞお許しください。そしてよろしくお願いいたします。

東京都練馬区立大泉西中学校 PTA広報委員長 古賀 由美子


 2005(平成17)年2月2日、私のHPを見たと唐突に練馬区に住む古賀さんという方からメールをいたいだいた。校歌についてご連絡を戴いたのは、これで3度目になる。
 1回目は、上田中学、2回目は高岡高校で、今度で3回目になった。
 作品が誕生した経緯を知るということは非常に大切なことであるし、私にとっては、私の知らない偉大な團さんの足跡を知る手がかりとしても重要なことなので、早速、「出来うる限りの協力をさせていただきます。」と、メールをした。
 校歌にしろ、流行歌にしろ歌は多くの人に歌われ、時代を超えて、地域を越えて歌い継がれていくが、その歌の出来た経緯というと中々正確に伝わらないものだし、多くの人は歌を歌っても、その根源、人間が如何に絡んでいるかを調べようともしない。ちなみに、私が育った滋賀県蒲生郡安土町立安土小学校の校歌は、笹川新太郎作詩、陸軍軍楽隊作曲とある。昭和7〜8年の作曲と言うから、まだ、團さんや黛さんや芥川さんは入隊していなかった。(團、芥川の入隊は、昭和19年11月1日、東京音楽学校からは、13名/昭和18年約100人、昭和19年約120名の入隊があった)
 しかし、創立100年記念(http://www.bcap.co.jp/s-hochi/01-11/n011111.html#5)のアルバムには、戸山陸軍軍楽隊が千葉県と記されている。(正確には東京)、このように一つの例をとっても、曖昧なことが多い。だからここに、着眼された古賀さんの音楽へのこだわりにエールを送ることにした。
 最近では、社会的な歴史や、事業や製品の出来た経緯をつぶさに記録したTV番組も増えて来た事実は重箱の隅を突付きたがる私にとっては、うれしい限りである。
 何しろ、時代と人と仕事は、私の最も興味のあるところだから、こんなメールを戴くと興奮で胸が熱くなるし、特に團さんのお仕事となると、欣喜雀躍、何処へでも出かけてしまうのである。
 幸い、広報担当の古賀さんは、文章も明快、その上、音楽にも造詣も深いとお見受けした。
 そこで、古賀さんの探偵団の経緯を、いただいたメールを引用しながら、「希望のいずみ」の製作過程を追跡しようと思う。(早崎日出太)