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タイトル |
頁数 |
著者名 |
パイプのけむりにある著者の頁 |
備考 |
| 卷 |
項目 |
頁数 |
タイトル |
| 01 |
食物と文化 |
7 |
池波正太郎 |
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真実は酒の中にある~Ⅰ |
| 02 |
焼酎育ち |
15 |
田中小実昌 |
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| 03 |
ロンドンのパブ |
25 |
吉田健一 |
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| 04 |
葡萄酒の精霊 |
41 |
安岡章太郎 |
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美味は幸福のシンボル・日本編~Ⅱ |
| 05 |
大根 |
63 |
太田愛人 |
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| 06 |
横浜あちらこちら |
69 |
池波正太郎 |
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| 07 |
どぜう |
81 |
獅子文六 |
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| 08 |
東京の食べもの |
89 |
高橋義孝 |
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| 09 |
はも、あいなめ、鮑 |
97 |
金子信雄 |
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| 10 |
里の味 |
103 |
立原正秋 |
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| 11 |
お雑煮 |
109 |
大村しげ |
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| 12 |
赤穂の穴子、備前の蟹 |
113 |
山口瞳 |
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| 13 |
幕末の味、卓袱料理 |
157 |
丸谷才一 |
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| 14 |
コロンブスの蓮根 |
175 |
江國滋 |
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| 15 |
南国の魔味と踊り |
181 |
宇能鴻一郎 |
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美味は幸福のシンボル・外国編~Ⅲ |
| 16 |
エスカルゴ・ア・ラ・「焼き」 |
205 |
山崎正和 |
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| 17 |
豆腐談義 |
213 |
邱永漢 |
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| 18 |
スンバラ味噌 |
221 |
川田順造 |
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| 19 |
カンガルーこそ無類の珍味 |
227 |
壇一雄
壇一雄
壇一雄(小説家)
壇一雄(小説家)
壇一雄 |
15
16
02
19
ー |
15
15
50
15
05 |
91
71
28
85
71 |
筍
St印ed8eefその後
星の曲
けえらん-若しくはけいらん
荒地のブドーはうまい |
さてパイプのけむり
さてさてパイプのけむり
続パイプのけむり
明けてもパイプのけむり
毒蛇は急がない |
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腸が世界を制覇する |
| 20 |
お弁当のいろいろ |
253 |
小島政二郎 |
15 |
12 |
77 |
{あ、こりゃいけない」 |
さてパイプのけむり |
| 21 |
献立表 |
263 |
團伊玖磨 |
02 |
43 |
24 |
献立表 |
続パイプのけむり |
| 22 |
慶祝慶賀大販店 |
271 |
吉行淳之介 |
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| 23 |
梅干 |
279 |
水上勉 |
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| 24 |
昔カレー |
295 |
向田邦子(小説家) |
14
23
23
ー |
23
2
2
11 |
153
13
14
141 |
鬼籍
下野往還記
下野往還記
筆の走りがなめらかな時は |
またしてパイプのけむり
さわやかパイプのけむり
またしてパイプのけむり
ひととしごととたべもの |
| 25 |
天国へのフルコース |
309 |
北杜夫 |
13 |
13 |
77 |
象を食った連中 |
なおかつパイプのけむり |
| 26 |
わが美味礼讃 |
313 |
開高健
阿川弘之 |
ー
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12
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167
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毒蛇は急がない
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毒蛇は急がない
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旅先で出会った食通の「忘れられない味!」名エッセイ24編と帯にある。
池波さんが選んだ文章だから團伊玖磨さんを始め素晴らしい人たちの珠玉の文章だ。
食通の池波さんがセレクトした文章だから、食に関して並みの文章を並べたわけではないのである。
「鬼平犯科帳」「剣客商売」「藤枝梅安」の中に出てくる料理の数々は、何しろ私には懐かしい昔の料理の数々である。
私の父は、東京四谷で呉服を商っていた所為か客の出入りが多く、食事は外部の料理屋さんからの配達で賄われていた。
だからとい言うわけではないが、なぜか懐かしいのである。昭和の初期、流通が発達しているわけではないから魚は近海物、
野菜は、練馬や江東、埼玉や多摩川の方から売りに来ていたようである。
池波さんの本は、この頃、視力が衰えたので夜半CDで聞くことにしている。
おおむね、1本45分くらいだから一晩で3本や4本を聞く事ができる、目を疲労させることなく効率良く読むことができるのである。
池波さんの文章は、読んで面白いが聞くともっと面白い、劇作家の池波さんの文章は、芝居の舞台を見ているような現実感がある。今まで、活字を読んでいて気のつかなかったその場の空気感を感じてしまうのである。
会話が生きていると云ったらよいのかまざまざと人の息吹が感られるのである。
悪者は、憎らしい面持ちでそこに現実に立っているかのような緊迫感があり、この悪者を退治するイケメン武士はすらりと悪人の前に立ち塞がり憎々しげな表情で睨む悪者と対峙している姿を思い描いている。そして、正義の武士は電光石火の早業で悪者をやっつけてしまうので
ある
親子の情愛、熱烈な恋の逃避行、遊里のさんざめき、ささやかな庶民生活の日々、市井に流れている音曲、歓楽街の喧騒、あたかもタイムスリップしたように江戸の町を歩いている自分を発見するのである。
現代の有り余る贅沢な食品、レストランや料理屋、寿司屋を有名人が食べ歩き、お座なりの褒め言葉で構成する華美な雑誌やテレビ番組があふれている。
その上、ハンバーガー、サンドイッチ、ピッツア、ラーメン、焼きそば、揚げそば、各種のうどん、万頭、ビーフン、春雨、たこ焼き、お好み焼き、ちじみ、など大衆的なものから贅を尽くした高級料理、やれフレンチだ中華だ、ヴェトナムだインドのカレーだ、日本料理だとその差は大きい。要する日本の食市場は無国籍の様相を呈している。
池波さんが書くような、その辺にある野菜や魚や肉を使って、その食材が持っている香りや味や苦みや甘みやを醸し出すために、利尻昆布やよく乾いたダイヤのように硬い鰹節を削り、背黒鰯を乾燥した煮干しの腸を取り、その配合比率により微妙な味付けをする。それらのこまごました描写が朗読者の巧みな表情付けと文章の巧みな表現がカンパスに描かれる極彩色や水墨画のような渋い色合いを醸し出すのである。
最近、料理の出汁を科学的な処理で煮詰め乾燥して粉末状態にした、鰹出汁や、中華味、コンソメ、多種多様など安易にに味付けや香り付けが出来る。
その所為か外食では味が画一的になってファミリーレストランのカレーやデミグラスソースやオニオンソースやみそ汁までもが同じ味なのだから、どこかのメーカーが大量に製品化してパックして販売しているのだろう。
昔は、味噌から絞ったたまり醤油も自家製だった、それぞれ、家によって異なった味わいがあった。
味噌にしたって、原料に麦や豆を用い、ちょっと、酸っぱかったり、麹の香りが強かったり、塩からかったり、麹が粒のままだったり、豆の形が残っていたり家庭の味噌作りのノウハウが色々だったから味も多種多様であった。。
池波さんは、「ほんのちょっと知恵をはたらかせれば、うまいものはいろいろとあるはずなんだよ。現代はそういう頚のほたらきが鈍くなってしまった。むかしの人というのは、年中、頭を使っているわけです。
たとえば、この魚を買ったら、あしたは保たないな、だからきょう一日で食べてしまわなくてはいけない、それなら料理はこうこうしようとか、こっちで火をつけてゆでている間に、もう一方で何か刻むとか、そういうふうにして二つのこと、三つのことを同時にやるわけでしょう。その訓練が自然に感覚を鋭いものにするんだよ。」
「〔鬼平犯科帳〕に書く食べものというのは、前にもいったように、ぼく自身が食べているものを基本にして、それで時代考証的に間違いがないかどうか調べて、それを書いているわけだ」と描いておられる。(鬼平料理帳:佐藤隆介編・文春文庫)
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