| 安土町 日本への西洋音楽移入に貢献した織田信長 | ||
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| 2003年(平成15年)6月7〜8日(土〜日)、織田信長の居城のあった滋賀県蒲生郡安土町で恒例の町の有志(あづち信長まつり実行委員会)により、「あづち信長まつり」が開催される。 町の各部落の区長が信長や秀吉や家康その他の武将や姫に扮して「文芸セミナリヨ」や「信長の館」、「安土城考古博物館」のある広大な敷地内で武者行列を行うのが、このイヴェントのメインプログラムだ。 この行事と併行して商工会が主催する各種の出店や、町内の学校、文化芸能団体の発表やが2日間にわたって行われた。 信長について、先生は各種の講演やTV放送で多く語って居られるが、特に『NHK人間大学〜日本人と西洋音楽=異文化との出会い(1997.4〜6)』では、「宣教師たちの音楽伝道(テキストP26〜38)」に1549(天文18年)のザビエル来日以来、大内、大友、大村、有馬、そして織田信長などの大名によって庇護され布教のための拠点を獲得したとある。 1579(天正7年)に布教のため来日したイエズス会総長代理として来日したヴァリニャーノが有馬、大友、織田の許可により3種の聖職者養成学校を設立した。 有馬(1580年)と安土(1581年)の「セミナリヨ(神学校)」で他に豊後臼杵(1580年)の「ノヴィシアド(修練院または訓練校)」、府内の「コレジオ(学院、または学林)」であり、音楽が正規のカリキュラムとして採用されたのはセミナリヨで、地位の高い武士の子弟が教育を受けたとヴァリニャーノの記録に残っている。 このような意味合いから西洋音楽の移入に関してこれらの大名の功績は大きいし、信長の居城、安土に西洋音楽の拠点があったこと、現在のバロック・オルガン設備の有る「文芸セミナリヨ」が存在することの歴史的意義は大きいと言わねばなるまい。 先生は、安土のセミナリヨでグレゴリオ聖歌やオルガン、器楽合奏を鑑賞した信長が、1582年(天正10年)6月2日、「本能寺の変」で亡くならなければ、日本の音楽教育はまた違った発展をしていただろうと話されていた。(早崎日出太) |
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