團伊玖磨トップ頁    クリック、團伊玖磨インタビューへ
新星日本交響楽団広報誌「きらめき(粲)」1994.1〜1998.9
40年つうは600着の晴れ着を紡いだ1994秋号
1994創刊号 1994春号 1994夏号 1994秋号
1995冬号 1995春号 1995夏号 1995秋号
休刊
1996冬号 1996春号 1996夏号 1996秋号
1997冬号 1997春号
 「夕鶴」の出来るまで
1997夏号
 
オペラの題材と成り立ち
1997秋号
1998冬・春号 日本オペラの環境と世界の位置づけ 1998夏号 憂国 1998秋号

 「粲(きらめき)」は、1994年春から1996年秋まで3年間、財団法人新星日本交響楽団創立25周年を記念して定期会員向けの広報誌として企画制作を依頼された。
 1997年以降は、財団の方針が変更になり、他社で運用されることとなった。
 その後、東京フィルハーモニー交響楽団と合併、新星東京フィルハーモニー交響楽団と名称を変更、小誌は、廃刊となったが、1994年秋号から5回にわたって團伊玖磨氏にインタビューを行った貴重な記録である。
 とくに、オペラ「夕鶴」は、新星日本交響楽団との共演が多く125回以上、團伊玖磨氏が指揮をしている。以上の理由からどうしてもその経緯をお聞きしたくて、團氏に打診したところ快諾していただき実現したもの。幸い、デジタル録音でこの記録を録音しておいたので、再度、聴き直し、改めてその全容を公表したいと思っている。
 第1回目と第2回目の2年猶予の空白があるのは、團氏の仕事の関係とご病気で倒れられた事に起因し、最後のインタビューは、新橋の第一ホテルで、ココアをすすりながら、ご病気上がりの痛々しい状態で応じていただいた。その日、宮中で天皇陛下と御会食をされるとか、雪のちらつく寒い日だった。
 和子夫人のお迎えがありタクシーで新橋の雑踏の中、宮城に向かわれるのを社員の坂寄順子とお見送りした。
 娘の友人でもある小山さんの写真は、素晴らしいアングル、的確なシャッターチャンスには、感動だ、人を撮っても動物を撮っても、何時も素晴らしい写真を撮る。最近では事情があって写真の撮影をやめたと言うが、非常に惜しい気がする。
 
                                (表紙写真は、小山祥子/1997春・夏・秋号は、コニカ提供)