| 追善コンサ−ト 霧島昇・松原操 没後二十五年に寄せて 大滝てる子 父母の心を歌う |
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| 大滝てる子|日本コロムビア| |
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歌:大滝 てる子 演奏:長谷川 幹夫(エレクトーン) 梅屋 貴音(鼓) 岡本 妙子(司会) 日時:2009年6月2日(火曜日) 開演:午後の部 14時/夕方の部 18時 場所:大本山永平寺別院 補陀山長谷寺 仏堂 TEL:03-3400-5232 東京都港区西麻布2丁目21番34号 交通:地下鉄千代田線、銀座線、半蔵門線「表参道駅」下車徒歩10分 出口:B1、B3、A4、A5 都バス利用:「JR渋谷駅東口」新橋又は地下鉄日比谷線「六本木」より南青山7丁目下車 01(渋谷ー新橋/82:(渋谷ー東京八重洲)/88:(渋谷ー東京タワー) |
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| NO | 曲名 | 作曲年代 | 作詞 | 作曲 | 原曲の歌手 |
| 01 | 鼓ソロ | ||||
| 02 | 旅の夜風 | 1938(昭和13年) | 西条八十 | 万城目正 | 霧島・松原 |
| 03 | あこがれの郵便馬車 | 1951(昭和26年) | 丘灯至夫 | 古関裕而 | 岡本敦郎 |
| 04 | 南の花嫁さん | 1942(昭和17年) | 藤浦 洸 | 任 光 | 高峰三枝子 |
| 05 | 黒百合の唄 | 1953(昭和28年) | 菊田一夫 | 古関裕而 | 織井茂子 |
| 06 | 高原列車は行く | 1954(昭和29年) | 丘灯至夫 | 古関裕而 | 岡本敦郎 |
| 07 | 東京ブギウギ | 1948(昭和23年) | 鈴木 勝 | 服部良一 | 笠置シズ子 |
| 08 | 夢淡き東京 | 1947(昭和22年) | サトウハチロー | 古関裕而 | 藤山一郎 |
| 09 | りんごのひとりごと | 1940(昭和15年) | 武内俊子 | 河村光陽 | 河村順子 |
| 10 | めんこい仔馬 | 1941(昭和16年) | サトウハチロー | 仁木他喜雄 | 高橋祐子 二葉あき子 |
| 11 | 浮草の唄 | 1933(昭和08年) | 久保田宵二 | 江口夜詩 | ミス・コロムビア |
| 12 | 赤城しぐれ | 1937(昭和12年) | 久保田宵二 | 竹岡信幸 | 霧島 |
| 13 | 一杯のコーヒーから | 1939(昭和14年) | 藤浦 洸 | 服部良一 | 霧島・松原 |
| 14 | 婦人愛国の歌 | 1938(昭和13年) | 仁科春子 | 古関裕而 | 松原・二葉あき子 |
| 15 | 目ん無いちどり | 1940(昭和15年) | サトウハチロー | 古賀政男 | 霧島・松原 |
| 16 | 蘇州夜曲 | 1940(昭和15年) | 西条八十 | 服部良一 | 霧島・渡辺はま子 |
| 17 | 誰か故郷を想わざる | 1940(昭和15年) | 藤浦 洸 | 古賀政男 | 霧島 |
| 18 | りんごの唄 | 1945(昭和20年) | サトウハチロー | 万城目正 | 霧島・並木路子 |
| 19 | 胸の振り子 | 1947(昭和22年) | サトウハチロー | 古賀政男 | 霧島・松原 |
| 20 | 三百六十五夜 | 1948(昭和23年) | 藤浦 洸 | 古賀政男 | 霧島・松原 |
| 21 | 夢二絵姿 | 1974(昭和49年) | 島田磬也 | 船村 徹 | 霧島 |
| 22 | 妻よ | 1979(昭和54年) | 石本美由起 | 市川昭介 | 霧島・(台詞)松原 |
| 23 | 旅の夜風 | 1938(昭和13年) | 西条八十 | 万城目正 | 霧島 ミス・コロムビア |
| 24 | 私のお母さん | 2004(平成16年) | 藤原美保子 | 横山太郎 | 大滝てる子 |
| 25 | 東京ラプソディー | 1936(昭和11年) | 門田ゆたか | 古賀政男 | 藤山一郎 |
| 今年は、大滝てる子さんのご両親 霧島昇、松原操さんががお亡くなりになって25年目の年に当たる。 ご両親は、南青山の永平寺別院「長谷寺(ちょうこくじ)」にお墓があり、近くに喜劇役者 榎本健一さん、歌手の坂本九さんのお墓もある。曹洞宗の格調の高い名刹である。交通の便も良く、恐らく他にも著名な方が葬られているだろうと推察する。 お寺の山門を潜り、正面に本堂、左側鐘楼と僧堂、右手奥にこの日の演奏会場になる仏堂がある。 境内は、美しく整備され庭木も美しく選定され、さすが、曹洞宗本山の別院である。 お寺のパンフレットによると、開祖は、徳川家康が江戸入り(1590.08.01)、開府した時代慶長3年(1598)になるという。 開祖は、門庵宗関大和尚(家康の友人)、本尊は、十一面観世音菩薩(通称:麻布大観音)である。 最初の本尊は、大和、鎌倉の長谷寺と同様、木堂作(2丈6尺=約8メートル)の大仏だったが戦争中焼失。現在の本尊は3丈3尺=約10メートル、素材はクスノキ1本を彫って作ったっ十一面観音であり、香淳皇太后(1903【明治36年】.03.06-2000【平成12年】.06.16)のお顔を模している。 私事ながら、この時代の曲のタイトルを見るだけで胸が熱くなってしまうし、戦争で散ってしまった人々のことを思うと悲しくて悲しくて遣り切れない。それは、大滝さんのご両親や同時代の歌手の方々の歌についても同じ思いなのである。 恰も、その時代に回帰したように小学生の頃、戦争が起こしたいくつもの悲惨を見た私を、あの時代に引き戻してしまう。 ガダルカナル、レイテ島、沖縄戦、本土空襲、広島、長崎の原爆投下、たくさんの悲惨があった。 戦争は、遠くなった、今の人話しても「理解できない」という。それじゃー誰がこの真実を語り継ぐのであろう。 東京大空襲では、都内全域が火の海となった。江東区の寺の石仏は、今もその傷跡を留め、戦火で首が割れ落ち、石碑の多くは無残にも煤の跡と割れたままである。隅田川に何万もの腐乱し膨脹した死体が浮いたという。腐臭は、何日もあたりを埋め尽くした。 歌には、例外はあるものの、ほとんどそれらの事実が歌われていることはない。 しかし、その時代を共にした詩やメロディーは、鮮烈にその時代のことを私の心のスクリーンに投影する。(早崎日出太) |
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