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河島英五 全仕事〜奈良町で河島英五に出会う
家族が築く奈良町の瀟洒なカフェ&ギャラリー、そして、歌は次世代へ
2009.12.27.(火)
▲【TEN.TEN.CAFE】のホームページ ▲Photo|1|2| 
住所:〒630-8337奈良市脇戸町19 :0742-26-6770 e-mail:staff@ten 10cafe.com 
▲英五さんのお墓は近くの十輪院(増尾正子著奈良の昔話参照)
「良い演奏会場みつけましたよ」
真杉さんから、前日の夜電話があった。
「明日、雑誌なららの鈴木編集長に会うから、途中、寄りましょう」
彼が、電話の向こうで河島英五の家族がやっているんです。とか、言っているのを聴いて何処かで聞いた事のある名前だけど誰だっただろうかと頭の中で反芻過去の記憶を探っていたけれど、仕事をしていたのでそちらに気を取られ思考は違う世界に行ってしまっていた。
真夜中自動車の通過音も途絶え生駒山のケーブルの転々とした灯も消え、
「あ、そうだ、河島英五と言っていたなあ」、
誰だっただろうか、歌手とか言っていたな、そうだ、コンピューターで調べて見よう。
私は、明後日、出会う大和郡山の市議会議員との会話をスムースにしようと調べていた市の歴史と歴史の中で活躍をした人についての調査の手を休め、「河島英五」について検索をして見ることにした。
彼のサイトを開いて見て過去の記憶の糸がほどけるように、鮮明に僕の歴史と重ね合わせていた。
そして、黄桜のコマーシャルソングを歌っていた歌手であることを思い出していた。
今の世には、珍しい男の匂いのむんむんとする、そして、何故か的確に男の心に描く悲しさ、人に言えないような心情を伝える歌だと何気なく好んで聞いていた歌の一つだったような気がしていた。男の応援歌だと言う人もいるが、面白くなくて飲んで飲んでべろべろに酔ってくだを巻いている男は好きにはなれなかった。しかし、詩の言葉に表現されている男の独りよがりでエゴイスティックな、この気持ち女には解らないだろうなと云っているような雰囲気は良く理解出来た。
男の弱さを吐き出しながら嫌に長髪で顎のしゃくれた彼の風貌が、脂ぎった男を感じさせ、その頃の多くの歌手の何故か女性的な体質とは異った、彼が歌っていた「酒と泪と男と女」が何故か、心の片隅に澱のように残っていた。
彼は、1952年生まれだから僕とは、二世代ほどの年齢差があるから、この手の歌は、構えて聞くこともなくテレビの歌謡ショウか朝ドラのテーマ曲ででも流れていれば余り気にも留めず聞くのだが、この時期、経済戦士たる僕は超多忙で日本国中を処狭しと走り回っていた時代でもあったから、シンガーソングライターと云う人種が世間に流布して大いに若者たちを鼓舞している歌とは、全く縁がなかったと言って良い。
河島の最初のアルバムは、1975年とあるから、私の子供たちが10歳前後、ザ・ピーナッツが引退し、子供たちはキャンデーズに夢中になっていた。沢田研二、五木ひろし、野口五郎、西條秀樹、郷ひろみ、細川たかし、女性軍は岩崎宏美、南沙織、中島みゆき、森昌子、桜田淳子、山口百恵、イルカ、八代亜紀、研ナオコ、荒井由美、アグネス・チャンなどが台頭していた時代でもあったし、各種のアンサンブル、コーラスグループ、ロックンバンドや種々のジャンルの歌手達も多く世に出る時代でもあった。
この歌詞では、男はやり切れない時酒を飲んで飲んで眠ってしまうと歌っているが、やり切れない時ほどいくら酒を飲んでも酔わないのである。酒を飲んで膨大な借金なんか忘れられるわけがない。経営者は、明日の資金繰りに飲んだ酒が心で凍ってしまうから体内を燃焼させてしまうまでいかないのである。眠れないのである。酒に酔うのは幸せの時である。
こんな困っている時ほど、借金の事や諸々の後始末を忘れてしまいたいと思うと同時に誰も救援の手を差し伸べてくれることはないからじくじくと酒を飲むことになる。
それは、冬期登山の凍える雪中でウィスキーを胃の腑に押し流しても酔わない事に似ている。
それに比べれば女はしぶとい、若い時は、泣き疲れて寝るかもしれないが子供を産み、家族全員が女の味方になれば男なんか弱いものである。女が泣き疲れて眠るのは結婚当初だけ、男は、この事を肝に銘じていたほうがいいと思っている。
途中で気がついて、涙を見せられないと男は言う、横で、家中を占拠した女が涙など何十年も何処かのアパートの隅に置いてきて
「気に入らなければ出て行ってちょうだい」
と、今日も言っているが、こちらは馬耳東風と聞き流しているものの、それは、僕の人生だけなのだろうか。
「野風増」を聴いたのは、小学生の頃の息子と一緒に年に一回くらい男同士で旅をしょうと云う事で寝台列車に乗ったり、京都の梅田機関車庫に各種の蒸気機関車の歴史を見に行ったり、佐久間ダムの雄大な水の器を見に行ったりしたものだ、その内、少年サッカーを始めた息子には、僕と一緒に旅をする時間がなくなり、高校、大学受験と僕の方も忙しくなり男同士の旅は、小学生の5年生位で終わってしまった。
僕自身が進みたかった物理学者の道を息子に継いでもらいたかったからの旅で啓蒙し、幸い、息子は大学進学後、物理学者の道を辿り、娘は環境庁の管轄に務めた。しかし、娘の方は、地学がやりたいと言ったが果たせなかった。
この歌の歌詞では、20歳になったら旅に出てもいいと言うが息子は、4年生くらいからカメラ担いで一人で旅に出ていた、中学生の頃は京都まで歩いて行って途中で金がなくなり駅まで迎えに行って金を払ったと云う暴挙も成し遂げた。
娘の方は大学生になった20歳前に、自転車で日本国中走り回っていた。
北は北海道から南は九州、屋久島まで
「女は危険だからやめなさい」
と皆に言われながらも、執拗に止めなかった。道端で寝ていると、みかん畑のおじさんが
「娘がこんなとこで寝ては駄目だ」
と家に泊めてくれたとかそのようなエピソードが絶えずあった。
それなりに子どもたちは野風増の主人公よりは旅に関して早熟だった。
息子は、小学生の同級生と結婚、娘は見合いで結婚してしまった。だから、酒を飲みながら結婚について語る術もなかった。
この歌は、男親の理想のバイブルのような歌詞である。伊奈二朗さんの詩も中々良いし山本寛之さんの作曲も歌いやすく、誰でも歌える。
息子はビール党、酒はほとんど飲まないから、酒党の僕と酒を飲むことはしない。息子も40歳を超え世界中を飛び回っているからお正月と宇都宮大学構内にある研究所から海外や学会に行く時、ホテル代わりに埼玉の自宅に泊まって行く位しかないので対話をする暇もない。
奈良町の大通りに面した古い建物を改造した瀟洒なレストラン兼カフェである。二階が吹き抜けになっていて壁やちょっとした小卓の上に彼のCDや遺品が置いてある。彼の愛用したアメリカ、インディアンモータース製の色彩感覚とデザインの素晴らしいスポーティーな自転車が展示されていた。
サドルを支えるパイプにグリーンの膨らみをもたせた銘板が下がり斜体で「Indian」の文字が伺える。
奈良では何処の家でも通りに面した窓は格子造りである。この様々な格子が奈良町の古い風情を醸し出している。二階からは格子越しに大通りが見え冬の薄い陽光が壁に懸った写真パネルの往年の歌手の舞台写真に栄光の日々を照らし出していた。
ご家族で経営されているせいか、温かみのあるお料理は、フランス料理やイタリア料理のようなけばけばしさは無く、家庭料理のような温かな雰囲気のメニューでリーズナブルでもある。彼の奥さまが店主であり、妹さんが幸いいらしたので、この店での演奏会開催についての賃貸料やどのような公演があるのか説明を受ける。テレビでおなじみの鶴瓶や三枝など上方落語の公演が多く、息子さんや二人の娘さんの歌もここで行われると云う。暮れの31日は「Ten.Ten.大晦日LIVE’09」が息子さんの翔馬さんの公演で行われるとポスターが貼られていた。
英五さんが描いた夢が家族で歌を継承することであったかどうかは、解らないが、血と云うものは恐ろしいもので祖先や親の血を完全に受け継ぐものである。そして、成功する確率は高いように思う。
男か女か区別のつかな歌手の中にきらりと光る男っぽい歌手が早世してしまったのは残念で仕方がないが、彼の熱唱が多くの同世代の若者たちを勇気づけ、多くの女性にこんな男と結婚したいと思わせたかどうかは、チャンスがあったら奥様にでも伺ってみよう。
真杉さんが、おずおずと話した「TEN.TEN.CAFE」の壁には、ラクダのシルエットがたくさん飾ってあったし、屋外の高い壁にもラクダの隊商が描かれていた。小学館発行する「サライ」もラクダのイラストを良く使用するが「サライ」という言葉がペルシャ語で「小さな宿」と云う意味からラクダは、英五さんが歩いた大切にして語った歌の旅、歌の絆を意味しているのだろうとこの奈良町でまた、見つけた歴史を後にした。
枯れた若草山の色が冬の寒さに震えているように見えた。ここで、息子さんが熱唱する時間、僕は揺れる高速バスの中で明日と云う家族の待つ朝帰りを実演しているに違いない。
野風増 … 中国・四国地方あるいは岡山家の田舎方言で「やんちゃ坊主」という意味と書かれているが、色々な意味をもつに違いない。例えば、出しゃばり、つっぱり、困難に立ち向かう、生意気、粗野、荒々しさ等が考えられるが、野卑な風俗、野蛮など歌う人の人生に描けばいいのであって、この歌の訴える父親と息子の情愛の深さが感じられればいいのであって、こんな親子関係があれば殺伐な事件は起きないのにと思う。学歴学歴と云う前に親は、自分自身の人生を考えるが良い。それが、子供にはミラーリングで跳ね返ると思うのだが。でも、速すぎた、今の世だからもう少し長く伝道をしてほしかったが、それは、多分、お子さんたちに委ねたのであろう。(早崎日出太)