藤田父子が守った素敵な西洋館が平塚の街にあったT


 2003年11月29日、平塚市松風町の藤田さん宅を小田原在住の近藤氏に誘われ訪問した。
 松風町とは,なかなか風流な地名である。ふと、黒田節の一節を思い描いた。
 駅からさほど遠くない、政治家河野一族が居住する大邸宅の城郭を彷彿とする塀の切れたむこう側が藤田邸のある松風町である。
 「早崎さん、平塚の広報紙に團先生が幼いとき住まわれた屋敷があると言う記事がありました。ご一緒しませんか。平塚市文化財団飯尾さんとこの屋敷に住んでおられる藤田さんにはご都合の良い日を聞いてみます。」
 近藤さんから3ヶ月ほど前に平塚市の文化情報誌「たわわ」No.44(文化行政推進室・2002.11.15)に「團伊玖磨先生と平塚」という記事掲載されたものを送られたのが発端となって素晴らしい建物との出会いとなったのである。
 近藤さんは、小田原の富士フィルムの子会社に勤務されている、團伊玖磨先生の大ファンだ。追っかけの一人かもしれない。晩年の先生のコンサートや講演会などには、必ず参加していたと伺っている。
 「パイプのけむりの件で、スゥーリーの小山さんにあなたの電話番号を聞きました」
と、電話があったのは、今年、夏の盛りであった。綿密に記録された先生との出会いの記録。先生が世界を訪問された国と地名の分類、先生の旅の歴史は、近藤さんの日々の歴史であり先生との感動の記録でもあった。
 藤田さんのお宅は、ビルの谷間の中に、そこだけが時代に取り残されたように落ち着いた感じで目的の家があった。私の幼い頃の東京の町並みを彷彿とさせるような建物は、細かい雨でしっとりと濡れていた

昭和9年、團伊玖磨氏の父上 團伊能先生の弟子だった藤田彬氏(2000.11.8.物故)の父 藤田經世氏[1903年(明治36年)721日〜1984年(昭和59年)5月11日/絵画評論家]が、原宿の團宅に出入りしていて非常にその家のたたずまいを気にいり、自分の家をこれと同じに設計にしたいからと、伊能先生に「設計図をお借りしたい」と申し入れた。
「設計図と言わずにこの応接間のついた家をあげるから、持って行きさい」
 と、この建物を譲り受け、今の位置(平塚市松風町)に自宅本屋の新築時期に原宿の團家の一部を解体、移送し建て直したものだと藤田享子(彬氏の奥様)さんにおうかがいした。
 
2000年1月29日、秋谷からタクシーでこの藤田家を訪問された團伊玖磨氏が、幼児、生活されたこの部屋との70年ぶりの再会に懐かしさで部屋や外観のたたずまいに感動されていたという。
「5歳の頃、この家に住んでいた。壁の色までそっくりだ、ここで一緒に遊んだ妹にも見せたい。」
 
團先生は、非常にうれしそうにいつものあのやわらかな声で幼児の思い出を享子さんに語ったという。70年の疾風怒涛の生活、お亡くなりになる前の過去との邂逅は、5歳までのこの部屋での日常生活にどんな思いが去来したのだろう。
 
先生の心の中に何を思い出させたのだろうか。扉にさび付いた打出し金具の蝶番、木目に年月の皺を刻み込んだ床板、一切、釘を使用しない柱と柱、精巧なひし形組子格子の幾何学模様、赤いステンドグラスと裸電球の暖かさ、壁にかかった油絵、くすんだ時代の流れの中にあたかもそこに5歳のかわいい坊やの姿があるような錯覚にとらわれた。
 
幼時の写真の何枚かを見たのは、八丈島のアトリエのテーブルの上においてあったアルバムだっただろうか。私は、自分の幼児時代と重ね合わせていた。 
 
少し約束の時間より早目に到着した近藤氏と私はすでに奥様よりお話をうかがっていた。お約束の時間に財団法人平塚市文化財団 飯尾紀彦氏(不思議?團紀彦氏と同名)事務局次長が藤田家に到着、團先生をこちらのお宅にご案内された経緯をうかがった。その時期、市に在籍されていた飯尾さんは、
「平塚市歌を作曲された先生とのご縁で晩年の34年ですが、ちょうどその時期、斉唱の平塚市歌[昭和27(1952)4月1日平塚市制20周年記念/昭和27年3月15日平塚市広報第22]を二部合唱、混声四部合唱に改編していただいた。(同年3月江陽中学校校歌も作曲)
 
また、マーチ「Tanabata たなばた」[湘南ひらつか七夕祭り第50回記念・2000(平成12)75]市歌をおりこんだ作曲をお願いした。
 
その時のご縁で、先生が5歳まで暮らした原宿の家を見たいとおっしゃった事から、藤田さんのお宅にご案内した。この次の日、2000年(平成12年)130日、ニューイヤコンサートを團伊玖磨指揮で初演が行われた。」飯尾さんは遠くを見るようなやさしいまなざしでお話になっていた。
 
戦争という苛酷の歴史の中で、雨霰と振る注ぐ焼夷弾の中で、死に物狂いで建物を守護して今もこのように素晴らしい建物がその時代のままに現存している事実、藤田父子の恩師の遺産を守ろうとした心根を最期になった父の家との邂逅にどのように感じられたかを思うと感動で胸が熱くなるのを禁じえなかった。(早崎日出太.2003年12月10日)
                                

伊能先生の弟子、藤田經世氏は、次のような著述をされている。
 ◆校刊美術史料 寺院編上、中、下
         中央公論社   初版:昭和
47年3月25日/再版:平成11

 ◆
信貴山縁起絵巻 東京大学出版局 初版:昭和32
 ◆日本美術史年表         初版:昭和27年   小林剛共著     

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